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2005年 05月 23日
今日は真のジャッジメントデイ。もう観念してます。朝からネットしたりゲームしたり、電話を今か今かと待ち続けるも、午前中は音沙汰なし。疲れた....。昼ごはんを食べて、妻に「昨日実家にキックボードを忘れた。」と聞いて取りにでかけた。ついでにコーヒーとお菓子を食べて、まだ結果がでないのか?とか、お金の話とかウダウダ時間を潰していたら、急に外か暗くなる。雨が降りそうな予感がしたので帰ろうとしたら、雨が降ってきた!!!しかもキックボードに乗りながらなので疲れる。家の近くまで来たときに、溝蓋の穴にタイヤが挟まって大転倒!!!!いて~!!なみだ目になりながら、ヒザと手のひらはズルむけで血をダラダラ流しながら家に着く。帰ってきて妻に軽く介抱してもらい、痛さついでに病院に電話してみた。そしたら手術あけのヘルシア先生がでて、「呼吸器外科の先生には19日には言っといたんだけど........、」とその後、へんな間がある。凍りついた。あちゃ~!ダメだったか!と思った。そしたら「値は0.1未満でした。」.............、っふぅ~~~~~~~~~!!!おいおい!!マジで~~~~!!!良かった~~~~~!!
ヘルシア先生は続けて、「それでも一応手術は受けといてもらったほうがいいですよ。」いやいや受けます、受けますよ!宜しくお願いします。受話器をおいて、不安そうな妻が「どうやった?」と聞いてきたので、0.1未満やった!というと同時にハイタッチ!そのまま母に電話した。ヒザの痛みなんか吹っ飛んだ。よかった。ほんとによかった。 4時40分電話が鳴る。ナンバーディスプレイでは神戸からだった。少し嫌な予感がした。出るとヘルシア先生からだった。「実は~....」凍りつく。 「実は、さきほどFAXを確認しましたところ、値が0.9でした。」えっ!!!!!さっきの0.1はなんだったんですか????!!!!!!!!「まことに申し訳ない。確認できずに申し上げてしまいました....。」それはないですよ...!言葉がでない....。体が震える。なにをどうしても値が0.9に変わりない。「呼吸器外科には手術はストップしてもらいました。こう上がってくると肺なのか、他の転移なのかを確認する上で、できるだけ早い段階で、全身的な治療を進めたほうがいいでしょう。」言葉が無い。あれだけ自信たっぷりだった超大量化学療法が効かないんですよ。もうだめじゃないですか....。心の中でつぶやいていた。二人のやり取りを聞いて妻も入ってきた。「どうしたん?!」「値が0.9にあがってた....。」妻はその場にしゃがみこんだ。今の段階ではMEAという絨毛癌むけの化学療法を選択しているようだ。 それで治った人はいますか? 「完解された人もいます」 治る確率はどうなりましたか? 「かなり厳しいと言わざるを得ません。」っていうか、もうダメだろうよ。受話器を切って妻と抱き合って泣いた。「みんなで支えるから弱気にならないで。」妻に励まされた。現実的にもうだめでしょう。治らないでしょう。MEAも根治ではなく、延命療法でしょうに。気休めの治療は受けたくない。あれだけアグレッシブだった先生もなんか弱気じゃないか。0.1って聞いたときは、すんごい喜んで、大騒ぎして、掲示板まではしゃいじゃって....、もうバカみたい。。。。。 子供たちは何もわからないで、遊びにいきたいとせがんでる。ごめんな、柔な親父で。明日外来にて今後の説明がある。正直疲れたな。。。 それからネットでMEAについて調べていた。気休めの治療はしたくない。いつの間にか、緩和ケア病棟(ホスピス)について調べていた。そしたら妻が入ってきた。それから終始二人無言。私が、今度MEAっていう治療をするそうやけど、効果が薄いようやったら、新規抗がん剤を求めて他県の大学病院に行く?って聞いてみた。妻は「どうする?」って聞いてきた。私は、もう、治療したくない....って正直の気持ちを打ち明けた。そしたら妻は「しんどかったもんね、ここでほんまは治療して!っていいたいんやけど、いっつもつらそうな姿見てるから、なんも言えへん...。」と泣いてしまった。私も声を出して泣いた。しばらくして妻は子供たちにご飯をあげるためにでていった。こんな気持ちでみんなとご飯食べれんな。でもまだ生きている。それまで父として、夫として、人として、ちゃんと生きていたい。気を取り直して、みんなでごはんを食べた。それから娘と風呂に入る。手のひらとヒザを大きくすりむいたので、背中が洗いにくい。娘に背中を洗ってもらった。風呂から上がり、寝る前に娘に「本読んで!」とせがまれ、娘と二人ソファに座り、読み聞かせていた。次第に涙があふれてきて、声が震え出した。しかし何とか踏ん張って、最後まで読み上げた。それからソファに横になって、テレビを見ていた。妻も子供たちを寝かしつけてリビングに現れたが、二人とも言葉が無い。妻が横になると行って歯を磨いていたら兄から電話がかかってきた。なんか掲示板の、私のコメントを見て、「まだ治療法があるやろ?こっちは治るって思ってるで!」と励ましてくれた。こっちは生きることを放棄したつもりはない。死を(少しだけ)覚悟しただけ。自暴自棄になったけど....。それから妻と、これからの治療のことや、その死を覚悟することなどを話した。妻も疲れたのか、放心状態で寝室に向かった。もう落ちるとこまで落ちたかな?明日さらに崖から突き落とされたりして......。
by seisoushuyou
| 2005-05-23 08:39
| 闘病記
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