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2004年 05月 10日
いよいよ、手術当日。昨晩は耳栓のおかげで睡眠も確保できたが、ベッドが合わず、腰痛が続いている。既に昨晩9時から絶食状態。朝8時には水分も確保できなくなるため、点滴が開始される。っと、その前に、出すものを出しておく必要がある。昨晩に下剤を服用し、朝には浣腸も用意されていた。しかし看護婦さんは「自分でします?」とセルフサービスを決め込んでいる。一応ここは『完全看護病院』です。
やりましたよ、自分で。えらく長いノズルを差し込んで、液体を流し込みました。薬がきついのか、吐き気もしましたが、効果てき面。すっきり快腸です。 7時40分から点滴開始。しかしカテーテルは長く、手首の横ら辺にされたので、痛かった。また針はプラスチック製で、その根元にはたくさんのハブがついているものだった。 朝の回診時、ドクターFはすんごいニコヤカな表情だった。ちょっと不気味だ。 午前中は新しい患者さんが入られたが、すぐに個室に向かわれた。また週末外泊した青さんも戻ってきた。 その後大阪の義父母が来てくれた。まだまだ手術には時間があるので孫と自宅で留守番をしていてくれた。そうこうしていると、長さんが退院するため、挨拶に訪れた。餞別にとテレビカードをくれた。ありがたい。 父母、兄夫婦、親戚のおばちゃん、いとこが来てくれた。が一向に手術の連絡がこない。実際正式な時間も決まっていなかったので、かなり待たされた感じだ。3時ごろ手術着に着替えて、さらに30分ほど待たされた。 ようやく電話で手術室に呼ばれた。 緊張と寝たまま移動しているので酔ってしまった。手術室の前まで全員ついてきてくれた。手術室前で記念撮影。 手術室に入るとそこは控え室であった。本当の手術室に行く前に、台を乗り換え、ヘッドキャップをつけられ、案の定固定された。そして、名前と手術の内容確認。 『左精巣摘出手術』って、いえるかい!!!! 手術名は堪忍してもらった。っていうか、そこまで聞くな! そのうち看護士さんたちがざわめき始めた。必要な書類を忘れたらしい。おいおい....。 それはすぐに解決したが、そこから本当の手術室に行くまで、ずっと上を向いたままだったが、長い廊下といくつもの部屋。治験室や培養室みたいなものも見えたぞ! なんだここは!? 手術室は6室あり、私は5番目の部屋に案内された。無菌を維持するため低温であったが寒い。そしたら足にヒーターをつけて、いよいよ麻酔。 この時点ではまだなんにも麻酔されていないので、意識はビンビン。みんな緑色の服着て、上にはテレビで見慣れたあの照明。「いや!このまま切らないで!」 緊張度もピークに達していたところ、看護士さんに『リラックスする注射』を打たれた。それでも意識ははっきりしている。今度は横向いて背中を丸められ、脊髄に注射された。 ちょっと鈍痛が続く。1回、また1回、さらに1回....、っておい!!何本注射打ってんねん!「背中の筋肉が硬いから...」って失敗しとるやないか! ようやく脊髄に麻酔が入り、徐々に足の感覚がなくなってきた....、 しかし!意識ははっきりしている!いや!まだ切らないで!! そう思った矢先に点滴を入れていた針に、あまっているハブから謎の麻酔が投与された。 「ちょっと痛いですよ」って、麻酔に痛みなんて.....、 「いて~~~~~~~!!!」思わず叫んでしまった。カテーテルの先がいてぇ!!何の薬だ!!ええ???? 気がついたら手術は終わっていた。 6時10分頃、病室に戻ってみんなを前に一言 「はい、それでは二次会、宴会をですね、実家のほうでご用意しておりますので....」 周りのものはあきれて、そのまま実家になだれ込んだ。術後の開口一番で何を言うか考えていたが、ややウケの感じだった。 6時40分ころ、急に傷口が痛み出した。麻酔が切れだしたのか?術後、麻酔は継続して点滴していないため、痛み出したら座薬の出番である。 まったく動けないので、なされるがまま、投与された。
by seisoushuyou
| 2004-05-10 09:22
| 闘病記
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