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2004年 05月 11日
目が覚めたら12時を過ぎたところだった。その後目が冴えてしまい、さらに傷口も痛み出した。点滴交換のときに、痛みを訴えて右肩に筋肉注射をしてもらった。足のヒーターは暑いし、いびきはうるさいし、ベッド硬くて腰は痛いし!
その後、腰痛で1時間ごとに起きてしまった。 5時。我慢の限界でナースコールを押した。再び座薬を投入。1時間寝たら、強制的に起床させられた。7時30分に朝食が運ばれた。こちらは寝たままで動けない。絶食から開放される、まさにbreakfastだ。しかし起き上がれない。ナースコールを押して、「朝食がきたんですけど。」というと、「たべていいですよ~。」の返事っきり、誰も来ない。お~い、おこしてくれい!といっても無駄なので、自力で起き上がったが、腹いて~!!腰いて~!、悪戦苦闘すること10分。120度くらいまで起き上がれたが、点滴、心電図、酸素計、フットウォーマー等、機械につながれ、ご飯食べる気失せた。しばらくして看護士さんにベッドごと起こしてもらって落ち着いた。 やっと起こしてもらったベッドも回診時にまた寝かされた。そしてガーゼ交換。既にふんどしをつけており、そのしたはおむつ。そしてガーゼをとると、血だらけの布が見えた。ドクターFは「痛かったでしょ?」と言ってきたが、それどころではない!あの大量の血をみると気を失いかけた。でも、おなかの縫い目に消毒をあてても、不思議としみなかった。 昼ごろ再び痛み出したので筋肉注射をしてもらった。すると地球が回りだした。急に気分も悪くなり、吐きそうになった。その後吐き気も治まり、妻と昼食をとった。 そのあと体を拭いてもらい、着替え。午後からは『黒さん』が見舞いに来てくれた。 入院の知らせを聞いて、すぐに電話くれたりと、いろいろお心遣いを頂いている方だ。 痛み止めも効いていたので、スムーズに話もできた。へこんでいたので元気を頂いた。 しかしその後は、腰痛と傷口付近がズキズキ痛み出し、熱も上がってきた。そうこうしていると親父が見舞いにきたが、悲痛な形相の息子を見て、絶句していた。 結局親父とは会話らしい会話はしていない。 晩飯がきた。『いなり寿司』だった。 キ○タマとったあとに、おいなりさんとは....。皮肉である。っていうか、もともと寿司食べられへんし。買い置きしていたコーヒーゼリーを食べた。 妻が子供を連れて夕方再度訪れた。上の子は健気にがんばっているようだ。がんばってねと手紙をもらった。ありがとうと、手を差し伸べた。握手した。なぜだか、涙が出た。とっさにタオルで顔を隠した。 子供が部屋を出て行く、声を出して泣いてしまった。妻が入ってきた。妻も私の手を握って励ましてくれた。 看護士にも「立て、歩け」と急かされる。痛みに耐えられず、動けず、幼子の相手もできない。なさけない。くやしい!いろんな思いが噴出して、泣いてしまった。ただ泣いた後はすっきりした。明日絶対歩いてみせると心に誓い、就寝。青さんが気遣ってくれて、カーテンをしめてくれた。
by seisoushuyou
| 2004-05-11 09:23
| 闘病記
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