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2004年 05月 21日
朝10時ごろより妻と二人で今後の治療の説明を受けた。
担当は助教授であった。助教授はこれまでみせたことのないやさしい口調で、丁寧に手術の説明、検査結果、今後の治療について説明してくれた。 病巣である左睾丸から精巣、腎臓に向かうリンパ節を摘出し、胸のCTには異常は無し。ただしお腹の腎臓から上に向かって、リンパ節が3cm大の腫れを数箇所引き起こし、リンパ節への転移が認められた。これまで訴えてきた頚動脈の腫れもリンパ節なので、転移と考えているようだ。 既に外科手術ではすべてを摘出できないため、抗がん剤による投与しか方法がないと言われた。 続けて治療の方法の話になった。首筋に針を刺して、24時間ぶっ続けで抗がん剤を投与する必要がある。吐き気、白血球の減少による免疫低下、消化器系の機能低下、脱毛....。副作用は免れない。医学の進歩で幾分副作用を抑止してくれるようだが、厳しい治療になりそうだ。 しかも5クールを予定しているようだ。え?1クールって何日???? 「1ヶ月です」 ええええ~!!!!5ヶ月も続けんの???!!! 突然途方と絶望に襲われた。 言わなくて良いことも言ってしまった。 「私の余命は.....。」 助教授はためらった後「個人差があるが、このまま治療しなかったら、1年ももたないでしょう....。」 ドラマじゃないんだから。こないだまで普通に生活してたんですよ。うそでしょ....。 妻も泣き始めた。私も泣きたい。 幸いにも腎機能は優秀だそうで、薬量も目一杯投与できるらしいので、効果を落とすことなく治療に当たれるらしい。つらい思いまでして、本当に治るのか?? 説明を受けたあと病室に帰るまでの間、二人に会話もなく、地に足はつくはずもない。 絶望だけが二人を包んでいた。 病室に帰ると、妻は泣き出した。必死でがんばろうと言い聞かせているようにも見えた。 クラウディアさんに診断書をお願いした。 妻が待合室で電話をしていたら、クラウディアさんに励まされた様子だった。私には何の言葉もかけてもらってない。 一時外泊のため、実家に寄った。母に説明した。当然呆然としている。昼食時にビールを飲んだ。ちょっとヤケ酒。 家に帰り、妻は子供と寝てしまった。疲れがどっと出ている様子だ。私は一人になり、改めて診断書と手術、治療の説明に目を通した。自分の体の中で何が起きているか。その部位に話しかけてみる。 次第に涙が出てきた。くやしくて、なさけなくて.....。声を出して一人泣いてしまった。 最後は、もう、やるしかないと開き直った。 夕方会社に説明に訪れた。支店長に喫茶店までご足労願い、診断書とこれからの治療の説明をした。支店長も愕然としていた。できることは協力していただけるようだ。そこでお見舞いは謹んでお断りした。また当然休職扱いとなるようだ。 帰り際、待っていてくれた妻に、これから各種手続きでお世話になると支店長を引き合わせた。支店長を見て、妻は泣いてしまった。それを見て、私も泣いてしまった。支店長も悲痛な表情で泣いている。私の肩に手をかけて、「がんばれ!がんばれ!」といって、泣いてくれている。しばらく喫茶店の前で3人泣いていた。 こういう人情味あふれる上司がいてくれて感謝している。 その後子供たちと焼肉屋に訪れた。既に病院食に馴れてしまい、胃がもたれたが、楽しく家族4人の時間を過ごした。 晩に父母がやってきた。お前は心配すんなといっているのか、俺を慰めてくれといっているのかわからない会話だったが、どうも酒が飲みたかったらしい。 また10時ごろ兄に電話した。親父からの電話はしどろもどろでわけがわからず、最後は、俺を慰めろといってきたようだ。どっちが病人やねん。明日泊りがけでまた来るそうだ。 それから妻と話し合った。治療しても余命いくらかということではなく、3ヶ月、5ヶ月の治療の目処で快方に向かう説明にもとれる。金銭面は両家の父母に任せて、治療に専念しよう!治る気がしてきたぞ!!と言い聞かせた。 妻も笑顔が戻ってきた。
by seisoushuyou
| 2004-05-21 09:34
| 闘病記
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