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2004年 07月 06日
夜中の4時に目が覚めてしまい、トイレに行ったり、ゲームしたりでなかなか寝付けなくなってしまう。手のしびれも激しく、寝れない要因となる。
依然食欲は旺盛で、朝はサンドイッチを食べ、新しく購入したノートパソコンのセットアップに勤しむ。 調子に乗り、昼ごはんは坊ちゃま食堂に行くぞ!と張り切ってでたものの、今もって胸にはカテーテルが挿入されており、輸液ポンプを引きずって行くにも、バカポンプはすぐに警告のアラームを頻繁に鳴らすので、軽食堂に行こうか悩んでいた。結局坊ちゃま食堂はあきらめて、軽食堂に行くことにした。そうしたら後ろから「パチさ~ん!」と黄色い声がしたので振り帰ると、クラウディアさんが走ってきた。 私の思い込みだろうか?ICUという超繊細な看護能力が必要なエリート集団の仲間入りした彼女の雰囲気も泌尿器科当時のものとは違って見えた。 「元気そうやん。」と声を掛けられ、『え?』と思ったが、彼女が最後に担当した日は、そう、あの吐きまくった時だった。 なんか、キラキラ輝いてましたな。足早に本館に消えていきました。 んで、お昼ごはんはカレーうどんとご飯。先にうどんを食べてから、ご飯をぶっ掛けてカレーにしちまう荒業で、お腹がはちきれた。 まぁ、3キロも元に戻さなあかんので、ええかぁ、とのんきなこといっていたら、昼過ぎに象印先生が来て、「白血球が8000なんで、ブレオを投与します。」といってきた。 前回なら、かなり落ち込んでいたので、ブレオの投与はないとタカをくくっていた私があほでした。その後すぐに回診が始まり、象印先生は、「投与してから変わったことありませんか?」といって来たので、「今さっきですやん!」とツッコンだら喜んでくれた。 投与後はふらつきもあったが、比較的安定していたので風呂に入り、売店でポカリを買ってきた帰りに、喉の痛みが激しくなってきた。すぐに横なり、昼寝するも痛みはさらに激しさを増し、寒くてたまらなく、うがいも全然効かない。ナースコールを押して鎮痛剤をもらう。しかし、今度は吐き気が出てきて、薬ごと吐いてしまう。昼ごはんをたらふく食べたことを後悔しても遅い。しかたないので座薬を入れてもらい、様子を見ることになった。昼過ぎに晩御飯の買出しをお願いして来てくれた母は、メールとは真逆の息子の姿を見て、ひどく狼狽していた。一眠りして、7時半頃、汗をかいて熱も落ち着き、ようやく晩御飯にありつくことができた。ブレオをなめていた。これを機に自己管理を徹底したい。
by seisoushuyou
| 2004-07-06 12:56
| 闘病記
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