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2004年 12月 06日
朝の回診時にイベント終了後の外泊について聞いてみたところ、可能だと返事をもらうも、次回の治療を来週中に開始すると告げられる。てっきり12月20日ごろと思っていたので、ゆっくり羽を伸ばそうとおもっていたのだが、ちょっと残念。と、同時に次回治療をもう一度VIPでやると、ヘルシア先生がいうので、????っと思い、「またVIPですか?」と強めに問いかけたら、幹細胞の採取を見て検討となった。それでも腫瘍マーカーが上がったことを考えると感受性がないのだから、なんか納得いかないまま昼が過ぎる。
今日は母が看病に来てくれたのだが、幹細胞の採取が2時からなのでゆっくり来てと言っておいたのに、10時ごろ来てくれた。当初は今日は家でゆっくりしてもらうはずが、思った以上に幹細胞の採取がつらかったので、無理言ってきてもらう。 2時半ごろ処置室に呼ばれ、第2ラウンド開始。今日は太ももの針が痛かった。今日は痺れもなく、順調に進む。途中、投与後の腫瘍マーカーの上昇と朝の回診時の『次回もVIP』について、ハママイク先生に聞いてみたら、「200もあがるのはよくない」とか、次回もVIPして幹細胞の採取を再度チャレンジはありえないとか、なにも明るい話はなかった。しばらくして、少し眠くなったかな、寝ようかな・・・と思ってハママイク先生を見たら、先生もこっちをじっと見ていた。何かな?と思ったら、「マーカー、280から38に下がってるよ。」って言ってきた。はぁ?と思い、「先生、それ逆じゃないですか?」と聞き返したら、ナースステーションに入って、なにやら資料を出してきてくれた。カラー印刷されたグラフには確かに11月29日採血分の腫瘍マーカー『38』と書かれていた!!!!「やったぁ!!」と叫んでしまい、母もそれを聞いて喜んでいる。 「イホマイドが効いたんですかね?」と聞くと、「そうやね。この結果みて、ヘルシア先生も、もう1回VIPって言ったんじゃないかな?」ようやく納得である。 しかし和やかな雰囲気もここまで。処置前にトイレに行ったのに、また行きたくなってきた。仕方ないので先生に「トイレにいきたいんですけど。」といってみたら、看護士さんが尿瓶を持ってきてくれた。早速セットしてくれて、さぁ!どうぞ!さぁ!と言われても、まったくでない。みんな一旦病室から出てもらうも、出ない。それでも膀胱は破裂しそうなのに・・・・。それから1時間半、我慢してるわけじゃないのに、なんともいえない不快感に襲われ、またいつもの振動で気持ち悪くなるし、最悪の状態が続く。しかも時間が長い・・・・。今日の採血では白血球が1万7000と下がってしまい、採取量も昨日より少ないようだった。それでも%がどれだけか?というのが肝心なので、あまり気にしないことにした。ようやく、やっと処置が終わり、太ももの止血の際も膀胱を刺激しないよう配慮してもらい、腕も止血完了。よし、トイレ!と起き上がった瞬間、腕から血の噴水がピュー!!!!って飛び出した。ハママイク先生が「ちゃんと止血せな!」と言ったけど、止血したり、服についた血を拭いたりで、結局またトイレへの道が遠ざかり、もうソワソワっていうか、膀胱痛い・・・。ようやくトイレに行ってでた量が、軽く600mlを超えて、容器に納まらなかった・・・・。 やっと落ち着き、母に頼んでおいたお好み焼きを食す。母は気を使って、私の大好きな広島焼きをお願いしたのだけど、純関西風お好み焼き屋で広島焼きを頼む客もいない様子で、弟子と師匠がああでもない、こうでもないと言い合って作ったものは、広島焼きそれとは程遠いものだった。味は昔風でおいしかったけど。 もうへとへとで疲れ果てるも、寝ようと思うのに寝れない。結局12時頃に寝る。
by seisoushuyou
| 2004-12-06 08:53
| 闘病記
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